宗教学

》*コラム/人生哲学系 編*

まず、世界には大きく分類して「一神教」の宗教と「多神教」の宗教があるんですよ。
一神教・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。
多神教・・・仏教、道教、神道、ヒンドゥー教など。
世界の宗教の人口比率で一番多いのはキリスト教、次はイスラム教。
仏教・・・意外と低い。手持ちの本には6%とある。
軽くでよいので、世界のメインの宗教について知っておくのは、世界を知るためにも重要だと思います。
それぞれの国の国民性・・・かなり宗教に影響されてますから。
もちろん日本人も、けっこう無意識ながらも影響受けていると思われますねん。
例えばですね、一般論ですがね、、
一神教は「唯一の神のみが正しい」→正しいものは1つである。
自分の信仰や信念を相手にわからせ、相手に納得させるのも思いやりの心のうち。(日本人にしてみれば、押し付けに映る?)
多神教は「神や仏は唯一の存在ではない」→正しいものは1つであるとは限らない。(中道的発想)
という、発想になりやすいみたいです。
なるほど、なんとなく納得では?
キリスト教が主流の欧米の感覚と、日本人との感覚にズレが発生することが多々あるのは、宗教などの文化の違いに起因していたりするのですよね。
白黒はっきり!・・・っていうよりは、YES 、NOがあいまい。
正しいのは自分だけでない、と考え、相手の立場にも立とうとする。
だから即答ができない、というより相手に心を配る・・・。
(んー・・・、でも相手の立場に立とうとして考え、心を配るということをしない日本人も多いね。ま、一般論として)
ついでに書くと、
仏教にもいろいろ宗派がありますが、私は禅の思想が好きです。
お釈迦様が原点でも、その後のお弟子さんの思想や文化により 様々な宗派が発生した歴史を考えると面白いですよね。
仏教の思想好きだけど、神様などに対します信仰心はないです(汗)
宗教組織の存在意義にも、否定はしないのですが、疑問というか、自分なりの必要性の答えが出ておらず、なんのために必要かしらと時々、ぼーっと考えています。確かに、文化を守るためには必要ですよ。でも そのためだけに存在というのは本来の役割とは違いますよね・・・。そのうち答えが出るかしら。
昔は もっと日本人も信仰心があつく、心のよりどころとして宗教の存在意義があり、そして宗教組織にも意味があったと思うのですよね。
いまは・・・。
時代が変わったのだから、古くからの宗教も、少しづつ意識を変える必要があるのではないかしらねぇ。
宗教に偏見をもつ日本人が増加する中、
古くからある仏教や神道なんかは、宗教という枠を超えて、日本人の文化として存在を別格として万人に受け入れられているように思う。
観光でお寺に行ったり、自分自身の信仰心とは関係なく先祖伝来の宗派に抵抗感なく葬祭をしてもらう。
禅の思想はですね、
不立文字
教外別伝
直指人心
見性成仏  (達磨大師)
~悟りの道は文字や言葉では伝えられず
文字に書かれていないものを特別に伝授するのが禅
坐禅によって自分の本性が万物の心理と一体であることを見抜けば
それが仏の悟りに他ならない~
言葉などに頼らず、自分で悟れってことですね。
そもそも悟りの境地などは言葉や文字で表せるものではない。
言葉や文字は、真理を表すための仮のもの、
悟りの境地に導く手段にすぎず。
仏像や経典なども絶対視しない。
禅の思想からしてみたら、仏像だって 別にありがたいものではない。
大事なものはなにか?
難しく形式にこだわるほど、道(真理)から遠ざかるんじゃないかしら。
宗教というより、哲学に近いのですよね。
「無」と「空」の境地。
一は一切であり、一切は一。
ふっふっふ。けっこう禅の思想に浸るの好きですねん。
おもろいです。
                 (2005年10月19日~20日に書いたのを編集)

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