ぐだぐだ

》 旧ブログ記事(2010年以前)

毎度、タイトルを考えるセンスがありません・・・
ちゃんと内容に合わせたタイトルにしたほうがよいのでしょうが。
自分で過去日記を見たくなったときは、内容のキーワードを思い出し、ブログの検索ボックス使ってます・・・
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・「大学」を読む
「大学」を読みました。
読んだのは、「読本『仮名大学』『大学』を素読する」著・伊與田 覺 という本。
大学の朗読CD付きである。
ページがとても薄い。前書きとか除けば、実質の中身は35ページぐらいである。
しかも文字がでかいので、ページ数以上に、さらっと読めてしまう。
全文を読み上げた付属CDも20分ちょっと。
素読を目的に考えるなら、繰り返し読むのにラクなボリュームで素晴らしい★
内容は、やはり東洋哲学っていいなぁ~♪♪♪、って思いました(笑)


~昔、明徳を天下に明らかにして平安を来たそうと思う王者は、必ず自分の国をよく治めた。自分の国をよく治めようとして、先ず自分の家をよく調和させた。自分の家をよく調和させようとして、先ず自分の身の修養に努めた。そして身を修めるにあたっては、先ず自分の心を正しくした。自分の心を正そうとして自分の意識や感情を正常にしようとした。その意識や感情を正常にしようとして先ず生まれながら与えられている知恵を極めようとした。そして知恵を極めるというのは、即ち自己を正して本来にかえることである~(「読本『仮名大学』『大学』を素読する」の、解説部分より引用)
物には本末あり、事に終始あり、とのこと。
そこで先後するところを知れば、大きく道からはずれることはないと。
身分や地位に関わらず、自分の身を修めるのが本(もと)であるという。
その本(もと)である自分の身が乱れて、末である、家をはじめ国や天下が治まるということはない。
要するに、本(もと)をおろそかにして、末に力をいれたって、長い目で見れば終わりをまっとうすることはできない。
身が修まらなければ、その家をととのえることはできない。
自分の家の者を教えることができない人は、広く人を教えることもできない。
例えば家にいて、親に孝行を尽くす心が君主によくつかえる本(もと)になり、兄や姉に従順であることが、世に出て年上や上司によくつかえる本になり、又妻子を慈しむ心は民衆をよく使う本になる・・・
・・・等々、深いことが色々と書かれてました。
家庭は土台ですよね・・・
ついつい身近な人にほど、気を使わなかったり感情を押し付けてしまったりしがちですが、本当は自分に近い存在の人ほど大切にしたほうがよいのですけどね。
なかなかそれが難しい・・・(汗)
社会的にうまくいっているようでいて、仕事から離れると孤独っていうのは寂しいですよね。
なんのために頑張っているのか・・・
人間、どうしても親兄弟や夫婦であっても相性とかってありますからね、家庭円満とはいかないことも多々あると思う。
でもせっかく縁あって顔を合わせたりしてるんですからね、自分自身の修養に努めることによって状況が改善することもある。自分が変わることによって相手も変わったりね。
努力にも限界があり、悲しいけど見切りをつけるという選択が必要なこともありますがね・・・
でも自分の考えこそ正論なんだからと自分の主張を譲らず、相手の粗ばかり見つけ批判ばっかりで褒めることをせず・・・って、変わらなきゃいけないのはあなたでしょ?とばかり不調和を改善する努力をしない人も多いですよね・・・
正論通すばかりが賢い選択じゃない場合もあるんですがねぇ・・・
幸も不幸も、多くは人との関わりの中から生じますからね、
「大学」に出てくる「国」を「会社」に置き換えても、あてはまる部分は多いと思う。
物事、いろんな二面性がありますからね・・・
必ずしも儒教的思想だけでは人生を乗り切るのが難しい場面が生じることもあり、相反するような思想が必要なときもあると思います。
白か黒かでなく、白も黒も相反するようでいて併せ持ってバランスよく調和するというか、まぁとにかく特定の思想だけに偏るのではなく、いろんな思想を知るというのは大事ですよね。
いろんな思想を知る中で、何を受け入れ、何を受け入れないか自分で判断していけばいい。
多様な思想を知ることは、多様な人間を理解することにもつながるように思います。
戦後、日本の学校および家庭教育において、本(もと)である修身、修養教育がおろそかにされ、末である枝葉に偏った知識教育がされてきちゃったのかなぁ・・・
哲学なり信念なり信仰なり、心に柱がない状態というのは心もとない。
ぷかぷか漂流・・・
私は物質的な成功より精神的な幸せのほうを人生の目的にしたいから(おまけで物質的な成功もついてきたら嬉しいですけどね(笑))、IQよりもEQを重視する。
幸福な人生をつくる秘訣は単純なんですよね。
「他人に好かれる人になりなさい」by天風
誰にでも好かれるのは無理ですがね、でも多くの人に嫌われるよりは好かれる人生であったほうが幸せな気がしません?
例えば、クチを開くと他人の批判や悪口ばっかり、褒めるということをしないという人は、たとえ頭がよかったとしても自分の人格を落としていると思う。自分の欠点はさておき、人の粗を見つけるのが得意で、それを指摘することによって自分が優位に立った気持ちになり、自分は優れた人物なのよと錯覚をおこす人までいる。
性格を深読みし背景を考えると、子供時代の親の教育からくる劣等感の裏返しなのか、それとも家族みんなそんな性格なので同化して育ったか、はたまた社会に出てからの環境がそうしたのか・・・・、それはさておき。
会うたびに、親戚の悪口やら、近所の人の非常識の指摘やら、会社の人の文句やら・・・ばかりの話をされたりすると、私なんかは頭に毒ばかり入っていくことになるので逃げたく距離を置きたくなりますね。会ったことない人に対し悪い先入観もちたくないですしね。たまにならいいのですけどね、毎度だとね・・・。私、嫌いな人はいないけど苦手な人は発生したりします(苦笑)。
10個不満や文句を言ったら、2、3個ぐらいは、褒めたりよいところを発言してほしい・・・。自分の経験上、まったくいいところがないという人は滅多にいない。なぜに悪いところばかり指摘したがる?!
個人的には、好き勝手いっても、フォローの気持ちがある人は憎めない。
・・・と書きながら、私も余計なことを言って、よく失敗するほうなので偉そうなことを言えませんが。
旦那を見てると「沈黙の美徳」をよく思っちゃいますよ・・・
あまり旦那は私に比べると余計なことを言わない。
(っていうか、あまり物事を深く考えてないのだと思うのだけど)
余計なことを言わない人って、勝手に周りがよく評価してくれること多くないです?
相手がトゲに感じるような、言わなくてもいいことを、言わないで飲み込めるよう身を修めることができたら、人間関係、円滑にいくケースもかなり増えるんじゃないでしょうかね(苦笑)。
本当にその話や発言は言う必要があるのか?
他に言い方はないのか?
相手を攻撃したり批判したり・・・、陰の気、消極的観念、マイナスな言葉を言おうとするときは、一呼吸おいて判断するようにしたいところなんですけどね。
なかなか他人のことはよく見えても、自分のことは見えにくいものです。
いつも不機嫌そうだったり気難しかったり愚痴や不満ばっかりの陰の気が強い人よりは、やはり笑顔で明るく積極的な心構えの雰囲気の、陽の気の強い人のほうが人を惹きつけ好かれるような気がします。
どんな状況でも、心まで貧しくならないよう心がける。
それが周りにもよい影響として広がっていけば、より自分の心も豊かになれるんじゃないですかね。
・・・って、大学の話をしていたはずなのに、また話が変な方向へいきはじめたので、このへんで打ち切り。

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「読本『仮名大学』『大学』を素読する」、活字でなくて筆書きされています。上のほうに、解説が書かれてる。
二宮尊徳が薪を背負いながら読んでいる書籍は「大学」らしい。

そのうち、この本も読んでみたい・・・


論語素読CDを1枚持ってるのですが、これもよさそうですね・・・
http://godsend.jp/rongo/ (勝手にリンク)
うーっむ、、、1万円。
今回、私が購入した「大学」と同じ著者が書いてるようですね。
CDも同じ人が読んでいるとすると、お経っぽい感じの朗読かな。(好み、分かれる?!)
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・予定日超過
まだうちでダラダラしてます。
昨日、健診で8100円とられた(泣)。
補助券、余ってる人ください・・・
予定日を超過すると、プレッシャーを感じる人もいるらしいが、まったく気にしておりません。
えぇやん、もう7月生まれで。
でも来週まで何事もなければ、来週の水曜日に入院するよう言われた。
ありゃりゃ(汗)。。。
というわけで、遅くても来週水曜日から1週間ぐらい音信不通になります・・・
急ぎの用件などある人は、旦那にお願いします。
余談。
もうこれで健診で体重うるさく言われることはない?!
やったーーー♪♪♪
ということで、昨日からおやつ解禁♪♪♪
いやぁー、ほんと、体重管理厳しくてねぇ・・・
体重管理の入院を、なんど脅され言われたか・・・
しかしもうここまでくれば・・・・ニヤリ☆

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