宗教雑学:崇高な考えでも、言葉にしたとたん、陳腐

哲学思想
先日、高野山に行ったとき、偉いお坊さんの ありがたい公演を聞いてきたのですが、とてもたいくつな話でした。
私が思うに、仏教の禅には「不立文字」とか「以心伝心」という言葉があります。
文字ではなく、心をもってしか心は伝わらない・・・心の奥に入っていかなければ、悟ることはできない・・・。

崇高な考えでも、言葉にしたとたん、陳腐になる場合があります。
それをよくわかっていれば、難しい話を四字熟語などたくさん使って、難しく話そうとしないと思うのだけどなぁ。
心の話をするのであれば、陳腐になるリスクがあり、もっと慎重にテーマを絞るなど 興味のもてる話の構成にして欲しかったわ。
かなり周囲で寝ている人がいました。(私もか(笑))
けっこう仏教好き※の私としては、ここで仏教ファンつくらんで どないすんねん?と、かなり不満。
せっかく、多くの人数が聞きにきているのに~。
(某旅行会社の100周年イベントがたまたま やってたの)

※仏教好きだけど、特定の信仰はもってません。

本居宣長の考えに共感します。

~私は仏教の言葉については、これを信じ楽しむ。ただ、仏教の言葉だから好み信じ楽しむのではない。儒墨老荘諸子百家の言葉でも、好み信じ楽しむ、それも儒墨老荘諸子百家の言葉だからでない、およそもろもろの雑技、歌舞燕遊、及び感じることのできるあらゆる自然物、宇宙にあるものには、ゆきて好み信じ楽しまないものはない。天地万物はみな、私が愛で楽しむための道具に過ぎないのだ(本居宣長)~

つづく(予定)

コメント

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    真言宗の法話というのは、大体面白くないです。面白くすると、本質から離れてしまいますので、申し訳ありません。

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