名言・格言:「学を絶てば憂いなし」他

哲学思想
仁知信直勇剛についての六つの弊害

仁を好むばかりで学問が嫌いならば
ただのお人よしだ。

頭のよさに頼って学問が嫌いならば
でたらめになる。

誠実なだけで学問が嫌いならば
だまされるのがオチ。

正直なだけで学問が嫌いならば
融通が利かなくなる。

勇気はあっても学問が嫌いならば
トラブルを招く。

根性はあっても学問が嫌いならば
偏屈になる。

(孔子の思想 より引用)

「学を絶てば憂いなし」

学問や知識は憂いの根源である。
それらを全て捨てれば悩み憂うこともなくなる。
世の人々は栄誉を求め、恥辱を避けるが、
栄と辱、善と悪にどれほどの差があるというのだろうか?

善・悪・是・非・醜などの価値判断は絶対的でなく、
相対的なのだ。
時代や環境によって変わってくる。
世の人々は、声・色・貨・利に目の色を変えているが
本当は淡白な生活を守り、しがらみを持たず、
ただ精神の向上を求めるべきでなかろうか。

「礼智を用いるようでは・・・」

上「徳」の者は自分の徳を施そうとしないから徳がある。
下「徳」の者は徳を施そうとするから、「徳」がない。

上「仁」の者には、その行動に動機がない。
上「義」の者は、動機があってそうするのである。

上「礼」の者は作為的にやり、こたえがかえってこないと
手を伸ばして無理にやらそうとする。

だから「道」が失われて「徳」があり、
「徳」が失われて「仁」があり、「仁」が失われて「義」があり
「義」が失われて「礼」があるのである。

社会が「礼」を必要になって、欺いたりだましたりする行為が生まれたの
である。
自分を聡明と思い、智を用いてうまくやろうとする、
ここに愚の根源がある。
人は、素朴な大道を守り、巧智をめぐらさず、礼智の
華やかさを捨て、道の実を取るべきである。

道徳修養は 道、徳、仁、義、礼、智に分かれている。
道に合致した社会では、すべてが自然におこなわれる。
社会が礼智を用いるようでは、もう手遅れなのである。

(老子 より引用)

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成功哲学的な本や孔子の思想、とても共感するところが多くて好きですが、
精神的に弱っているときは老子や荘子の思想を読むと癒されます(笑)

さて、休憩終了。
再開しますかな。

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