震災後の宮城県へ 知っている光景が一変していた 生きている限り、前に進まなければならない。

》0歳+親 日記

・息子がますます歩くのが上手に。

成長、早いですねぇ。

・旦那の実家&水族館へ行く

連休中、1日だけ、本当にひさしぶりに旦那が仕事を1日オフに。

息子、水族館でペンギンを見て はしゃいでいました。

・微熱

もう本当に頻繁に、息子が熱や鼻水を出しております。

そのため頻繁に保育園もお休み。

ハァ・・・

そうなると私も何にもできません(号泣)。。。

当分は仕方ないんだろうなぁ・・・

・テレビと携帯

まだうちテレビ、アナログなんですよ。

そして携帯電話もいま使っているの、7月までで使えなくなるようで。

まだ使えるんだけどなぁ・・・・

地デジの勢力拡大に抵抗してきたが、そろそろ限界か?!

最後の生き残りになるまで戦おうかとも思ったが、そろそろ降伏の白旗を準備しようかと・・・

携帯も、屈せざるを得ないでしょうね・・・

やはり文明の利器が使えないのは不便ですので・・・・

しかしテレビが薄型になると、子供に破壊される確率高くなりますよね。

いまですら、テレビをバシバシ叩く息子を見て思う。

・仙台

本日、早起きして、ちょっくら仙台まで行ってきました。
(正確には、旦那が行くのについていったのですが)

お客さんがいるのです。

お客さんの住まい&会社事務所は、仙台市若林区荒浜のすぐそばの地域でした。
なので荒浜と同等の被害があったと思われます。

何度か、私も震災前に行っています。

事務所のあるところからは海のほうに向かって松林が見え、畑や田んぼが広がるところどころに住宅の集落があるって感じでした。

いやぁー、まったくもってきれいに 建物が跡形もなく無くなっていましたね・・・・

知っている風景が一変していました。

あちこちに いまも壊れた車が放置されていたり、痛々しさが残っていました。

想像していたよりは、仙台、いたるところに屋根が壊れてブルーシートかけた家があったり壊れた店舗があったりして地震の爪痕は残っているものの、普通の日常に戻っているなぁ・・・という印象を受けました。

しかし津波がきたエリアに入ると、途端に別世界。

普通に建物が並んで建っているところを車で走って行き、通りを1つはさんで更に先に進んだとたん、あたり一面、壊滅状態・・・

いきなり景色の変わるギャップに衝撃を受けました。

ほんとちょっとの地形や場所の違いで これほど運命を分けることになるとは・・・

言葉少なく 景色を見つめてきました。

滞在中、雨が降り、あたりから なんともいえない臭いが漂っていました。

いまだ行方不明の人が多数います。

あちこちに、人を捜索した跡である目印のロープが貼られていたけれど、これだけ広大なエリア、捜索しきれるのだろうか・・・

大地震のあと、多くの街は日常に戻ったのに、壊滅してしまった地域は、そこだけ世界が変わってしまったかのように別の空間に感じた。

海水をかぶった影響か、樹木が茶色に枯れているのが目に付いた。

そんな中でも、ところどころでタンポポが咲き、雑草の緑があったのが眩しかった。

もう当分、田んぼのあったところで作物が育つのは無理かもしれない。

しかし雑草のたくましさをみて、またいつか荒廃したいまの状態から 草木が生える日は来ると思った。

津波で周囲の建物が流されたり崩壊し、その店舗自身もかなり痛々しく崩壊しながら、被災地でコンビニが営業していた。

一見すると、ほんとうに営業しているのかわからない。
店舗の中のほう暗そうであったし、窓は壊れたのか全面、ベニヤ板で覆われている。

コンビニのオーナー家族だろうか?

大人の男性と女性と小さい子供2人、合計4人で、コンビニのユニフォームを着て(子供も!)、店舗が営業していることをアピールし、駐車場で客引きをしていた。

別の場所では ひどい惨状となった会社跡地に、会社関係者と思われる夫婦が 車で乗りつけ、途方に暮れたように しゃがみこんでいるのも見かけた。
あれだけの規模だと、従業員もけっこういたのではないだろうか・・・

生きている限り、前に進まなければならない。

いたるところで

壊れた我が家の瓦礫を撤去する姿なども見かけた。

別世界に入り込むと、

そこには深く、本当に深く、痛みが静かに横たわっていた。

しかし、同時に 生命の たくましさも感じた。

昨日よりも今日、

そして今日よりも明日、

よりよくなるよう、多くの人の心に希望がありますように。

亡くなられた皆様のご冥福を深くお祈り申し上げます・・・

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