ドラッカー

》 旧ブログ記事(2010年以前)

けっこうドラッカーを読んでいて、「それは違うんちゃう?」と思う見解が多々ある。鵜呑みにはできん(汗)
例えばコミュニケーションについて。
ドラッカー本人も著書「ドラッカーの遺言」の中で認めてますが、コミュニケーションの重要性を軽視した記載が、けっこう目につく。


ドラッカーにも苦手分野はありますよね。。。
ドラッカーが、組織に属することをやめた理由は、「自分が部下を持つことに向いてないと気づいたから」だそうです(笑)
端的にいえば「できない部下」を持つことに我慢ができないのがその理由で、人を管理しマネージしていくことが下手だと認識できたために、組織にいて人を管理しなくてすむよう、20代と早くから組織に属して働くのをやめたのだそうだ。(「ドラッカーの遺言」より)
そのようなドラッカーの性格が出ているような気がする・・・
又、全体的に、大企業、行政機関など大組織を想定して書かれた内容が多く、鳥が空から眺めている視点は感じるが、虫が必死に空を見上げようとしている視点に対しての、理解、配慮が希薄である、と感じる。
ただ、高いところから見下ろしている人にはわからない視界があるように、低いところから見上げている人にも見えない視界があり、仮に両方の視界がわかったとしても、それらを全て網羅した内容の執筆も大変でしょうから、とりあえず、よし、とする。
鵜呑みにしようが、斜めに見ようが、受け取る方の自己責任で、情報を消化すればよいだけの話。
「ドラッカーと私」というタイトルで、ドラッカーと私の見解の相違について書いたら、すごく長くなりそうなので、本日はやめておく。
ドラッカーと私とでは、フィールドの軸をおいているところが全然違うので、同じであるほうがおかしいですがね(苦笑)
「自分とは違った考え、視点」というのは、またいろいろな気付きや考えを与えてくれます。違いは違いとして、何で違うのかと考えたりと、面白い。
・・・で、余談が長くなりました。
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少子高齢化・・・
既に起こった未来として、年齢構成比率の変化のシュミレーションは可能である。
たとえ、この先、数年以内に急激に出生率が向上したとしても、労働力人口として反映されるようになるには20年はかかる。
20年後、私は50代半ばになっていますね。
現在だったら、もう50歳も後半にもなれば、年金など老後の暮らしを心配するでしょうけど、20年後の50代の一番の心配事は親の介護なんじゃないでしょうかね?
団塊の世代である親がちょうど80歳前後になってきて、本格的に後期高齢者として介護の問題が深刻化。
と、同時に、50代後半になっても、まだまだ引退なんて先の話で、いまの40代ぐらいの感覚で現役労働力として期待され続けているように思う。
介護の問題と定年延長が当然の社会となっていて現役労働力としての期待の板ばさみとなり、私も含む団塊ジュニアの世代は、しんどいですね・・・・
将来の年齢構成バランスの改善、労働人口不足の問題解消に、「移民」を受け入れるかどうかが、この先、頻繁に論じられるようになっていくの現実になりそうな・・・
「移民」にゴーサインが出た場合、日本特有の様々な問題の発生が容易に想像つく。
可能性的にどうなるのかわからないけど、秋田県民の生き残り策として、学力テストに裏付けられた頭の良さを活かし(笑)、小さいうちからパソコンと外国語(英語含む)の苦手意識をなくしておいたら、少なくても、それができないがための機会を失うということは回避できるかもしれない。
よくも悪くも、日本人は外国語が苦手。
そのため、最も効果的に日本を外部から保護してきたのが「言語」で、関税など、ほかのいかなる保護政策よりも(外資から)効果的に日本を守ってきたんだそうな。
しかし、グローバル化された存在である情報の多くは英語で流通しており、「言葉の壁」が逆に仇になる懸念が生じている。
イギリスがすばらしい教育制度を残したことによりインドは「英語力」により、これからを考えると非常に大きな武器を得た・・・
(「ドラッカーの遺言」参考)
将来的に、英語ができないことが日本の成長や移民のスムーズな受け入れの足を引っ張る要因にならないとも言い切れん。ほかの県に先行して20年後を見据えた・・・ってのもありかもしれん。(無駄になる可能性もあるけど)
ここ最近の金融不安を端に発した、雇用不安問題からも考えてしまいますが、秋田の「雇用」を製造業に頼ろうとする政策もどうなんだろな・・・・
既に多くの製造業が衰退産業となっている。
見かけ上は、売上高が増加し、今後も将来性があるように見えるかもしれない。
しかしドラッカーは市場シェアや売り上げの増減よりも、人口構造の変化と同じように重要なものとして「支出配分の変化」を指摘している。
~たとえば自動車産業のうち普通乗用車は、先進国ではすでに3,40年にわたって衰退産業である。成長産業だったのは1960年代までである。ヨーロッパと日本のモータリゼーションが終わった時点である。もちろん世界全体での普通乗用車の売り上げは、今日でも伸びている。しかし、世界全体の国民所得や人口の伸びに比べるならば小さい。同じように、第一次大戦以降、あるいはすでに1900年以降、先進国にかぎらず世界全体としての一次産品への支出配分は、戦時を除き、年率にして約0.5%ずつ減少している。食料と工業用原料への支出のいずれもが減少している。1900年以降、一次産品の価格が一貫して低迷した原因はここにある。この傾向は今日も続いている。もちろん、成熟産業や衰退産業が復活して、再び成長産業となることはある。~
(「明日を支配するもの」より引用)
この見解が正しいかどうかは、自分にはよーわからん。
でもそういった見解があるということは、頭の片隅に入れておきたい。
短期的な、目先の雇用のために、未熟練の労働者を増産するような政策をすすめてしまうと、景気の変動から、まっさきに影響を受けてしまう不安定さを抱えてしまうことになるような・・・
とはいえ、景気悪化状態になってからではどうにもなりませんが・・・
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一昔前と人口の年齢構成が既に大きく変化した。
その影響が、これからどんどんと顕著化してくると思う。
若年市場、中高年市場、今後、どのような脅威や機会がありますかね。

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