昨日は秋田のビューホテルで森永卓郎さんの講演を聴いてきました。ユーモアあり、頭のいい人だなぁ~と感じました。興味深いことの他、よいことも結構言ってました。とても楽しめました♪
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・対立しつつ調和
『 松下幸之助一日一話/編・PHP総合研究所 』の『 5月2日 対立しつつ調和する労使 』を引用します。
~労使の関係は、常に”対立しつつ調和する”という姿が望ましいと思います。つまり、一方でお互いに言うべきは言い、主張すべきは主張するというように対立するわけです。しかし、同時にそのように対立しつつも、単にそれに終始するのではなく、一方では、受
け入れるべきは受け入れる。そして常に調和をめざしていくということです。このように、調和を前提として対立し、対立を前提として調和してゆくという考えを持つことがまず肝要だと思います。そういう態度からは必ず、よりよきもの、より進歩した姿というものが生まれてくるにちがいありません(引用終わり)~
たま~に自分、思ったことをついついストレートに言ってしまったりということがあるのですが、いま秋田で所属しているファイナンシャルプランナー(FP)の支部にしても、FPのスタディグループ(SG)にしても、社労士会にしても、おおらかに発言を受け入れてくれる諸先輩方が多く、ありがたいなぁ~と感じている。
対立すればお互い、一瞬、ムッ(怒)・・・とすることもあると思う。しかし私憤を長引かせない。次に会ったときには、変わらぬ対応。
人物が小さいと、こうはいかないと思う。
だから本当に人の縁に恵まれていることに、ありがたいなぁ~と思っている。
声の大きい者だけの意見が通り、対立した意見の出てこない会議はよい会議ではないと、何かの本で読んだことがあるような気がする。
意見が出てこないのは、組織風土に問題があることも多いと思う。
思ったことを言えないような雰囲気にするのが上手な経営者や管理職っていっぱいいますよね・・・
仮に経営者や管理職に風通しを悪くする要因があったとしても、人の組み合わせの妙味というのがあって、それを補い全体としてはよい方向へいくよう仕向けるのが上手なムードメーカーがいれば・・・なんですがね。
人の機敏を察するのが下手なボスは、番頭さん的なサブを大事にするべし(笑)
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・私憤と公憤
怒りにも、よい怒りと悪い怒りがあります。
私憤とは、私事で腹を立てることです。
面白くないことがあったら怒るのは当然だろ・・・と思う人は多いと思いますが、私憤にとらわれ続けるのは非常に脳ミソによろしくありません。
公憤とは、自分のためにでなく公のこと、皆のために腹を立てることです。
小事の私憤にとらわれるのではなく、公憤をもってして、会社や世の中をよくしていけたらよいのですが。
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・心構え
前回の日記で、旦那のパソコンが壊れたことを書きましたが、壊れるに至った最終的なトドメは旦那本人がしでかしております。アホやな・・・
その日、旦那は仕事が重なり気持ちに余裕がなくて、大変イライラしていました。
そしてそのイライラを表に出していました。
大きな独り言で、「あー、、、ムカつく!(怒)」等々、心構えの悪い発言を連発し、仕事道具(パソコン)にも叩くような操作でイライラをぶつけてました。
余裕がなくなるとイライラするのは理解できます。私もよく余裕がないときはイライラしてますから。
しかしながら、イライラを「言葉」に出したからといって、現状がよくなるでしょうか?
周囲にしてみたら、えらい迷惑です!!!
(怒りっぽい上司をもっている人なら共感していただけますよね?)
不機嫌な人は、周囲の人の脳ミソのミラー細胞にも影響を及ぼし、不機嫌を共有させることになります。自分の脳ミソだけでなく、他人の脳ミソにまで毒をまくことになるのです。
不機嫌状態の人に対しては、さわらぬ神に祟りなしとばかり、私は避難できますが、コテツ(愛犬)は素直なので逃げることができません。
可哀想に、旦那の不機嫌を敏感に感じ取り、コテツは悪くないのにガクガク震えて私に助けを求めておりました・・・
(※うちのコテツは、超ビビリのワンコである。外で除雪車が通るだけでも震えて飼い主の助けを求める・・・。不穏な空気に敏感なのだ)
イライラは理解できますが、せめて「黙々と黙っている」など、周囲に気をつかっていただきたいものである。
仕事が重なり気持ちに余裕がなくなった原因は自分自身にあるわけで、他人が悪いわけじゃありません。
だから旦那の不機嫌や八つ当たりは自分のための私憤です。
こうゆう私憤は、たいてい現状を更に悪い方向へ進めるだけです。
前からパソコンの調子が悪かったのですが、この日もまたパソコンを操作していたところフリーズ発生。
精神的余裕のない旦那は・・・
パソコンを「バシッ!!!!」・・・っと手で叩き、強制終了(直接電源off)したのでした。
そしてパソコンは2度と、まともに立ち上がらなくなったのでした・・・
そして状況、更に悪化。
いわんこっちゃない。
こうゆうときこそ、心構えを正さないと悪い流れでいってしまうのに。
隣で一部始終を、アホやなぁ・・・・と思って観察していたのでした。
私も意図的に不機嫌を演出することはありますがね。
(理不尽な目にあって反論したいものの、立場的にできなくて、その報復に「不愉快に思ってますから(怒)!!!」というのを伝えるため、話しかけるなオーラを出したり、淡々とした態度でキツメの言葉で対応したり・・・)
旦那のほうが温厚そうなイメージもたれているような気がしますが、実際は私より旦那のほうが短気だよなぁ・・・と思うのでした。(車の運転を比べても思う)
・・・と、あまり旦那の悪口(?)を書くと、それならこちらも言いたいことは山ほど・・・と言われそうなので、このへんで(笑)
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・「調和」「日に新た」
松下幸之助さんの書籍を読んでいて、「調和」や「日々新た」という言葉が気に止まった。
「調和」といえば、中村天風さん。
以前にもブログで書きましたが、また引用(笑)。
私も「調和」という言葉が好きなのです♪
2009年08月18日と2009年07月02日の日記より
http://keiei-roumu.sblo.jp/article/31408878.html
http://keiei-roumu.sblo.jp/article/30247488.html#more
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宇宙の真理は「真善美」である。
それ故に経営理念も「真善美」から外れた理念はよろしくない。「真善美」を無視して押し通したとして、いずれ歪が生じることになり、仮に物質的成功を収めたとしても、幸せな成功者にはなれないでしょう。
それぞれのおかれた立場から、進化・向上のため、ひとかどの存在になるべく、何をもって宇宙万物運行の原則に貢献するか宣言をする。石ころでも磨かないよりかは、磨いたほうが光るもの、そんなところに人生の味わいがある。
それを経営理念といえば経営理念となる。
蒔いた種子のとおりに花が咲く・・・
「真」・「善」・「美」。
「真」とは「誠」、筋道が少しも乱れておらず、一点の嘘偽りもないこと。
「善」とは「愛情」のこと。
「美」とは「調和」のこと。
常に心をして思考せしむることは、”人の強さ”と”真”と”善”と”美”のみであるよう心がけるべし。
心を清く、尊く、強く、正しく。積極的心構えを持つべし。
<参考文献:運命を拓く/著・中村天風>
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「日に新た」という言葉も好きなんですよ、私。
~宇宙の本体は、絶えざる創造変化活動であり、進行である。その宇宙生命より人間が得たるものを「徳」という。この「徳」の発生する本源が「道」である。「道」とは、これなくして宇宙も人生も存在し得ない、その本質的なものであり、これが人間に発して「徳」となる。これを結んで「道徳」という。よって「道徳」の中には宗教も狭義の道徳も政治もみな含まれている。しかもその本質は「常に自己を新しくする」ことである。殷の湯王の盤盟にいう「まことに日に新たに、日日に新たに、又(また)日に新たなり」という言葉は、宇宙万物運行の原則であり、したがって人間世界を律する大原則でもある。人はこの「道徳」の因果関係を探求し、その本質に則ることによって自己の徳(能力)を無制限に発揮することができるのである~( 人間学講和 人物を創る-「大学」「小学」/著・安岡正篤 の、扉(?)の文を引用しました)
東洋哲学は面白い♪♪♪
そして安岡正篤さんと中村天風さんの書籍も面白いです♪♪♪