うだうだ(社労士・信仰等)

》 旧ブログ記事(2010年以前)

・たまには社労士(FP?)ネタ
たまには社労士っぽいネタも書いたほうがよいかしら・・・(汗)
うちは保険代理店もやっているため、そちらのお客様からも、社労士分野の相談をされることが多々あります。
年金や健康保険のこともあれば労働相談もあったりと、いろいろです。
最近の話だと、65歳前後の年金と雇用保険について聞かれました。
定年後のライフプランを考えるなら、公的なお金がいくら貰えるかなどの知識も大切で、社労士的な業務でもあるけど、ファイナンシャルプランナーとしての仕事でもありますね。


60歳以降についても雇用継続が推進されたことにより、65歳定年制の会社も増えたと思います。
その際、65歳の誕生日がきて定年退職したほうが得か、65歳の直前で自己都合退職したほうが得か、会社や従業員の考え方で変わってきます。
通常は65歳未満の失業保険と年金は支給調整となって、どちらか片方の選択になります。
しかし、65歳の誕生日2日前に退職した人が、65歳になってから失業給付の手続きに行った場合、調整されるのは65歳未満の老齢給付なので、65歳からの年金には影響なく、失業給付と年金は調整されないで支給されることになります。
その際に給付される失業給付は、65歳以上に適用される一時金ではなくて、離職日時点では64歳だったことから、90日以上の基本手当支給になります。(受給権ありを前提での話)
65歳の誕生日までまって定年退職した場合は、失業給付の基本手当日額50日分(だったかな?)が一時金支給で終わりです。年金との調整はないですが。
給付日数だけ見れば65歳直前で辞めたほうが得にも見えますが・・・
そもそも失業給付は、働く意志があり求職活動することが前提なので、求職活動するつもりないなら、90日以上の基本手当は諦めてもらうことになります。
それと退職事由によって退職金給付額に差が生じる場合もあるでしょう。
それぞれ個別ケース毎に総合的に勘案しないと、損か得か、わかりません。
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・価値観の相違
哲学なり、信念なり、信仰なり・・・を持つことが大切と、先日の日記で書きましたが・・・
宗教や思想の違いから、歴史を振り返っても、多くの争いが生じているんですよね・・・(同じ宗教でも宗派で対立があったり)
昨日、実家に行っていたのですが、
私、親兄と、仲は良いのですが、根本的な価値観の部分で相違があり、多分この先も交わることがないなぁ~と思う平行線のところがあるのですよ。
なので、長時間一緒にいると、ろくなことにならないと学習しており、適度な距離を保っていたほうがお互いのためと、私は思っているのですが・・・
例えるなら、
浄土信仰の中に、1人、禅信仰の自分がいるような。(私は無宗教ですが)
もしくは、猿の惑星に地球人が1人、紛れ込んでしまったような。
どちらが正しい、間違っている・・・ってことはないと思うんですよね。
でも少数派の思想は弱い立場になる。
ましてや、上下関係の立場により、私の発言権は弱い・・・
子供の頃、自分の意見や考えを言うと批判や否定ばかりされて悲しかったということを書きましたが、いまも変わらずの部分あり、親や兄は自分の正しいと思っていることを一方的に言ってきたりするのですが、それに対して反する自分の考えを言おうとすると、お前は素直じゃないみたいにやりこめられる・・・。
NOは認めない、YESしか駄目って、一方的・・・
(兄にまったく自覚ないようですが、母と兄は似ている(苦笑))
「そうゆう考え方もあるね」と、適当に流せない自分が悪いんでしょうけど。別に何か言われたからって心に受け入れる必要はない。要領よく返事だけいい人になれば。結局、自分が大人になりさえすれば解決する、ささいな問題である。
しかしなんでこうも親兄妹と自分、思考回路が違うかなぁ・・・と考えていて、ふと宗教の対立と状況を重ねて思ってしまった。
それを連想するには理由があり、私は禅系の思想が好みだが、親や兄は縁起や占いを気にし、浄土系の思想を好みそうな、またそのほうが合っているタイプである。
「禅」は難しいと言われがちである。確かに、あまり深く物事を考えるのが苦手な人には向いていない、と思う。
だからといって、個人的には浄土系仏教の思想に対し、批判の気持ちは全くなく、むしろ、盲目的に何かを信じれば救われる・・・という教えには、深い思慮と知恵を感じていますがね。
手段は違えど目的は同じ・・・である。
心がよい方向へいくなら、自分の信じるのがなんであれ、それでよいのではないでしょうかね。
(詳細関連日記:お葬式の話や禅と浄土系の違いの話等。 2008年09月04日の日記の後半)
http://keiei-roumu.sblo.jp/article/18468891.html
人それぞれ、正しいと思っている価値観があり、それを否定されると嫌な気持ちになったりする。
時として、自分が正しい、素晴らしいと思っている考え、思想を、よかれと思って善意で他人にも押し付けようとしてしまうことがある。
その結果、感謝されることもあれば、相手がストレスに感じ仇となって憎まれることもある。
心の問題って難しいよなぁ~と思う。
世界には多様な宗教、民族があり、それぞれの価値観をもって生活している。
そこでお互いにお互いの価値観を押し付けあわなかったならば、過去における戦争や紛争の何割かは発生しなかったんじゃないでしょうかね・・・
共存していくために、お互いが不快にならないよう最低限のルールは必要だと思うけど。
世界でなく身近な話に置き換えてみても、人間関係にストレスを感じ、心の病にまでなる人が大勢いる。
自分が正しいと思っていることを相手が理解してくれなくてストレスになっている人もいると思う。
力関係が対等なら、言いたいこと言って発散できるかもしれませんが・・・(いやむしろ紛争勃発なるか?!(笑))
立場的弱者や思想少数派は・・・・
理不尽だと憤慨し、どこまでも相手にわからせようと固執する限り、自分が苦しいままです・・・
自分も相手から共感できない価値観を押し付けられたら嫌ですからね、それと同じような愚をおかしている場合もあります。
自分と他人は別個の人格であり、価値観もまったく同じではありませんからね・・・
まず自分自身が相手の価値観を理解しようとしていないのではないかと省みて(受け入れまではしなくてよいけど)、相手を思いやることが、平和への第一歩ではないでしょうか。
相手を変えようとするのではなく、自分自身がまず変わるべし。
「間違いは、100人のなかで99人が間違っていても、間違いは間違いなんです。100人のなかでたった1人が正当を行っていれば、数は少なくても、正当は正当なんです。わかります?」by天風
否定、批判されても、自信を無くす必要はない。
心構え正しく、前向きに、自分が間違っているならどうすればよいか考え、間違ってないと思うなら、自分以外の物事に必要以上に影響されず自分自身を信じるべし。
幸も不幸も他者との関わり、しかも狭い日常の人間関係の中から生じることが多いと思います。
「心こそ心まどわす心なり 心に心 心ゆるすな」(天風さんの気に入っている言葉)
お互いに不快な思いをさせあわず、心 平和に生活したいものです。

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