どよどよ

》 旧ブログ記事(2010年以前)

本日も喉が痛く、頭痛気味。
喉が赤くなっていました・・・
風邪ですね。。。
昨日よりは頭はすっきりしております。
昨日メール受信したなかに、気になるニュースがありました。
『 記録訂正により年金減額の場合は「修正なし」に(5月8日)/社会保険庁は、新たに判明した年金記録の訂正手続により受給額
が減額となる場合には「修正なし」として扱い、受給額が減らないようにする方針を固めた』
(社労士の方ならご存知の方も多い有料情報サイトの、第264回 SJS Expressより)
情報元はどこだろ?社会保険庁のサイト見たりしたけど見つけることできず。
いままでは職員により減額したりしなかったりと対応がばらばらだったとのこと。
そうなると、既に減額されちゃった人の扱いはどうなるんでしょ?
救済されるのかなぁ~?
いずれにしろ、私が記録調査を頼まれた際に、暗い顔して「残念なお知らせがあります・・・」とお伝えしなくて済むことになるので、よかったかも。


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最近は・・・
なにが正義なんでしょねぇ・・・と思いながら過ごす時間が多いかな。
正しい、正しくないの判断は、相対的な価値観の基準で人それぞれであり、『一般的』というくくりにおいても国や時代によっても大きくかわるし、曖昧ですよね。
そうはいっても、多様性は認めながらも自由に放置ばかりしていたらエントロピー増大、収拾つかなくなっていく一方で、コントロールするのに秩序は必要で、お互いにうまくやっていくためにも、その共通の基準として法律などのルールは一定の役割を果たしているわけで・・・
衣食足りて、礼節を知る・・・
恒産無き者は恒心無し(孟子)
(生活が安定して、はじめて道徳心や。一定の財産や職業がなければ、安定した心は得られない。余裕なくて道徳心どころじゃないねん・・・という意味)
武士は食わねど高楊枝・・・のごとく、気高く生きていこうっていうのは皆が皆、できるわけじゃないでしょう。
孔子的な道徳的秩序は、ある程度の豊かさが前提で成り立つもののような気がする。
格差が広がり、中小零細企業の経営の多くが借金を抱えながら成りなっている現状を考えると、法律を守れというのは間違っていないし正しいことだけど・・・
そうはいっても、大きな視点で眺めると、皆が皆、ルールを守らなくなったら秩序が乱れ、国は混乱の方向へ行くでしょう。
地方経済の減退、経営末期企業の増加・・・
老荘的道徳な視点になり、人としての道を踏み外していないのなら・・・
ただし、自業自得、自己責任でお願いします・・・と思ってしまいます。
なにが正しくて、なにが正しくないのか・・・
孔子的道徳の視点で考えると、社会的責任を果たさない存在は間違っているでしょうね。
しかし老荘的道徳の視点だと、必ずしも・・・
ヒンズー教の「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と人生を4つのステージにわけた考え方について書いている本を読んでみたいと思っているのですが、まだ読めていません。
秋田は50歳から75歳の「林住期」にあたる年齢層が多いのではないかと思うのですが、母集団の大きいところに社会全体のなんとなくの価値観も影響うけるような気がするので、少しそのへんの思想も含めて知りたいなぁ~と思ったのです。
なんとなくですが、地域社会全体のステージも、都会を除いて「林住期」のイメージ?
首都圏など、持続的に若者が流入しているエリアは、ずっと「家住期」なのかな・・・
関東から秋田に戻ってきて1年半・・・
なんかうまく表現できませんが、「違い」をなんとなく感じることがよくあります。
果たして秋田の目指していきたい方向は???
なんとなく・・・
国内ばかりしか気にしていない。(いやむしろ県内だけか?)
まったりしている。
・・・というのを感じています。
先日、郊外の温泉に行った際に、近くに神社があったり静かな環境と素朴さに癒されて帰ってきました。
ふと、バリ島のウブドに行ったときのことを思い出しました。
リゾート行くと、何もなくてすぐに飽きることの多い私ですが、何もなくても自然や素朴さを楽しみたい人もいますからね。。。
わざわざ海外行かなくても秋田にくればいいやんと思いました(笑)
海外から農作物や酒、加工食品が入ってきているのだから、逆に日本から輸出だってできそうな気がするので、マーケットを日本と限定せずに世界と見れば、農業の可能性も大きいように思ってしまう。
なんとか、「衣食足りず・・・」にはならないよう、秋田の経済、頑張ってほしいなぁ。。。
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なにが正義なんでしょねぇ・・・
なんとなく世の中全体、変な方向へいきつつあるような気がしています。
漠然と違和感。
私が小学生の頃・・・まだ昭和だった頃は、こんなでしたっけ?
アメリカで流行ったことが、遅れて日本でも流行るんでしたっけ?
離婚や精神病の増加・・・
クレーマーや非常識な親も増えているといいます。
そのうち、訴訟も非常に増加する社会になるんでしょうか。
自分の日記より引用
http://keiei-roumu.sblo.jp/article/1934927.html
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これは、強力な影響力の原理の1つ、「社会的証明の原則」によるものらしいです。
「私達は他人が何を正しいと考えているかに基づいて物事が正しいかどうかを判断する・・・」
周囲の人の行動が自分がどのように振舞ったらよいか決める重要な手がかりとなる・・・
問題を抱えた人が他人の自殺の記事を読むと、そのうち何人かが、自分にとっても自殺が適切な行動なのだと決めてしまい、模倣して自殺する。
同じように問題を抱える人々がどのように行動したのかに基づいて自分のとるべき行動を決定してしまうのである。
「私達は自分に似た他者の行動に最も強く影響される」
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自業自得、自己責任と考えずに、自分が選択してきた結果がいまの自分の人生につながっているのに自分の義務や責任は直視せず、他人にばかり責任を追及する人が増えて、その対応や処理に、行政の無料相談など年々使われている税金が増えているのなら、ちょっと嫌だなぁ・・・
病は「気」からで、過保護や逃げ道が症状を悪化させる場合もある。社会保障費の増大も、判断は難しいところだけど精神病での支出も増えているようなので気になる部分がある。
国の財政に余裕があるなら別にいいのだけど、パフォーマンスを優先して無選別に税金を使った結果、財政が後から苦しくなってシワ寄せで本当に救済するべき人が救済されなくなったりしたらいやですね。
なんか先日も新聞で警察の110番通報に、変な電話も増えているような記事を見たような・・・
主張する権利がある以上、利用できる制度があるなら利用するのは当然でもあり、別にいいのじゃないかと思う。
私も社会的にどうだろうかと個人的に疑問に思いながら、自分にとって得になることであれば利用する(例えば国民年金3号制度)。人間、そんなもんでしょう。
だからこそ制度や運営基準を作る側は責任重大なんですがね。
ネット社会やマスコミ、行政の宣伝活動などが精神病や権利を主張する人を増やしている一面があるように思うのですが、どうでしょ。
忍耐や我慢が美徳とは思いませんが、気軽に後押しする要因にはなっていそうだなぁ~。
精神病が増えれば精神科の医者が、権利の主張をする人が増えれば法律家が儲かりそうな気がしますがどうでしょう?(笑)
いずれ後押しがあったから表面化したのであるのかもしれないけど、人間関係の悪化や精神的ストレスを抱えている人が多いのは事実でしょうね。
いやな影響力が循環して、ますますギスギスした社会になったらいやだけど、なんか根本的な解決策ないですかねぇ・・・
人の問題は難しいですね・・・
しかし問題解決のための税金を使う優先順位や行政コストの費用対効果を気にしてしまう私は、ちょっとドライ?(苦笑)
同じ税金を使うなら、1人を助けるためより、ひっそり影で泣いている人も含めて多数の人が救われる方法を考えて欲しいような気がするんですがね。。。
※本日は、考えがモヤモヤしていて、思いつくまま書いた部分があり、まとまりのない文章で申し訳ないです。

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