ゆるく英語育児、続いています。
読み聞かせとともに、英語音声のかけ流し(聞き流し)、ほぼ毎日、もう習慣になっているので続いているのですが、しみじみと・・・語学習得って甘くないと実感。
息子が産まれてからなので、かれこれ5年目。
かなり私も英語を聴いてきたことになります。
しかし、いっこうに分からん!私が(笑)
息子の語学成長も、目に見えたものはありませんが、とりあえず洋画やアニメなど英語音声でも抵抗なくいつも見ているのがキープできているので、よしとする。
幼児からの英語は賛否あり、否定派がよく言う理由として「英語より、まず国語」というのがありますよね。
あれ、いまいち私、ピンとこないんです。
嫌味に聞こえたらすみませんが、学生時代(中学まで)、漢字と古典を除いて国語のテスト勉強ってしたことなく、しなくても高得点とれていたので・・・。
そのような背景から、国語って勉強が必要なの?!否定派がいう「国語」って具体的にどういった内容を指すの?・・・と疑問が。
学力には、見える学力と見えない学力がある。
心配すべきは、国語力の低下でなくて、見識、教養力の低下だと思う。
日本に住んでいる限り、大抵のやり取りは日本語でかわされる。
そのため豊かな語彙や思考力を日本語で身につける必要がある。
物に本末有り。
日本語による人間の土台をつくるための教養教育をおろそかにして、ただのツールである英語ばかりに力を入れるのは本末転倒である。
しかし見識、教養を身につけさせるのは学校の役割?それとも家庭?
教育を、すべて学校に丸投げする風潮は気に入らない。
国語力低下が言われていますが、読書をする習慣のある子は国語の成績がよい傾向にあると言います。
TVやゲームやスマホ・・・、学校よりも家庭における環境が変わったんじゃないでしょうかねぇ・・・
えぇ、何が言いたいかと言うと、結局のところ、「読書は素晴らしい」です(笑)
国語力の低下を心配するより、読書人口の減少を心配しましょう。
そして日本語の読書の習慣が身についている限り、幼児期から多少英語をはじめたところで、何ら問題ないと思うんですよね。
ひと昔前の大物人物達の本を読んでいると、皆様、非常に読書家だったことがわかります。
日本の昔の人は今以上に人間教育を重視していた印象。
知識があっても見識のない人がいる。
安岡さんも書籍の中で、「大体、大学の秀才などは、人間の修養などしてないから知識は持っているが人間そのものができておらん。これは雑識といって見識でない。修養をして器量ができてくると、知識も見識となってくる。そうゆう器量人になると、だんだんその人独特の存在が意義づけられてくる。その人間の存在性、特殊性ができてくる。その内容が器量。そして活きた判断、活きた行動、活きた責任、活きた人生観、活きた政治観、活きた事業観となり、いろいろ人生百般の問題に、活眼を開いて応用が効くようになる。それが器量人である」と言っている。
子供達には「器量人」になってもらいたいですよね・・・
ちなみにノーベル賞受賞者を異常な確率で輩出しているユダヤ人は、子供が小さい頃から語学教育をはじめ、大抵の人が2~3か国語を話せるようです。
そして、自らを「読書の民」「本の民」と言うぐらい、読書の習慣があるんですよね。
結論、母国語の本を読む習慣がないのに英語を幼児からやるのは危険。
でも、母国語の本をたくさん読む習慣をもった上で英語をやるなら、気にするでない、むしろプラス。
こう思うのですが、いかがでしょう?
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