不平・不満を言う前に、不平・不満を言えるだけの権利あるぐらい自分は自分なりの努力をしただろうか?
日本では職業選択の自由を保障されている。外国へ行くのだって自由である。
社会人になる前の、親に頼らざるを得ない期間においてはどうにもならない部分もあるかもしれないけど、社会人になってからは周囲からの影響があったとしても最終的な決断の責任は自分にあり、自分の人生の選択を他人のせいにはできないでしょう・・・と思っている。
日本は恵まれているよなぁ~と思う。
多くの不平・不満は、他者との比較の中から生まれてしまうのではないかと思う。
逆に言うと、他人と自分について、財産や境遇などを比べたりせず「足ルヲ知ル」を心がければ、心平穏でいられることも多いと思う。
なかなか自分より恵まれている人を日常的に目の前にしては、心穏やかに・・・っていうのは難しいかもしれないけど、欲望にはきりがないですからねぇ。。。
このように書いている私自身も、他人との比較をなかなかやめることができない。自分の現状と比較し、他人の幸せを素直に喜べなくて、そんな自分に嫌気がさし自己嫌悪になっていることもある。
おかしいのですよね・・・旦那とは20歳頃から同棲をはじめ24歳で入籍しましたので(かれこれ同居13年目ぐらい?)、自分の人生計画の中では、30代前半には核家族で4人家族ぐらいになってて、借家でない庭付き一戸建てで犬が一匹いて、贅沢はあまりできなくてもよいから、親に何かあった場合は助けてあげれるだけの貯蓄と生活に困らないだけの収入あって・・・って未来を想像していたのですが、現実化は未定です。共同生活の場合、自分の価値観だけで理想を現実化するのは難しいですからねぇ・・・。
嫌な自分になりたくない。気持ちに余裕がないうちは自分が欲しいものをもっている人に対し、会えば自分の気持ちが不安定になるかもしれないから、相手と自分を比較しちゃうと辛いので、あえて距離をおいて避けることもあります。
会わなければ冷静でいられます。
けっこう、人間の器が小さいです(苦笑)
しかし、他人のことを羨ましいと妬む気持ちが生じる一方、隣の芝生が青く見えている現象であり、相手にしてみれば、あなたのほうこそ羨ましいと思っている部分もあるかもしれないよなぁ~と思う。
けっこう、お互いに、ないものねだり・・・ってよくあることですよね(苦笑)と、頭でわかっているので、人間の器は小さいですが、他人に迷惑かけないよう、自分の中だけで消化するようにしております。(・・・旦那は反論ありそうだな(苦笑))
いろいろと落ち込むこともあるけど、もし仮に世界不幸ランキングなんてものがあったとしたら、自分の落ち込んだ原因は、本当に非常に非常にちっぽけなものだろうと予測され、公表することすら恥ずかしいレベルでしょう・・・と思う。
私には自分の人生について選択と決断の権利がある。
いきなり離婚して再婚することもできれば、社労士業もうからんから就職活動して勤め人になるという選択と決断もできるし、日本は嫌じゃ海外で生活する、といって外国に行くこともできる。
人生、理不尽なことも多い。
格差社会など問題がないとはいえないが、日本の場合は本人の努力次第で乗り越えられる余地が残されている場合も多いと思う。
職業選択などの自由がない国だってある。
自分で自分の人生を切り開く精一杯の努力をする前に、他人を巻き添えにして自分の人生に見切りをつけるかのような行動はいかがなものかと思う。
マイナスな部分に目を向ければ、いくらでも無限のごとく不平や不満がでてくるものではないでしょうか。
欲望にもきりがないけど、不平・不満にもきりがない。
苦しみのない人生ってあるのかな?
多くの人が、日々、葛藤と戦っているんじゃないのかな。
罪を憎んで人を憎まず・・・
基本的に私は、元々の遺伝的性格気質はあるかもしれないかもしれないが、人格形成は外的環境の影響が大きく、環境依存性のところがあり、悪い環境が悪人を、よい環境が善人をつくっている要因の1つになっており、本人の意思とは関係ない『縁』の部分で人格が形成されているなら100%本人に責任を追及するのは気の毒かなぁと思っているところがある。
ただ、自分の努力、心がけ次第で、よい縁を引き寄せようとすることは可能なわけで・・・
同情はするけど・・・
必ずしも、自分のいままでの人生を振り返ると順風ばかりではなく、逆境も多かったです。
いまも心1つで、順風でもあり、逆境でもあります。
いっぱい悩んだし苦しんだから、気づいたことも多かった・・・
逆境が自分を成長させてくれたと思う。
よく人を育てるためには褒めて伸ばすといいますが、異論はありませんが、自分の場合、厳しい上司のときのほうが成長していたように思います。
優しいだけでは・・・
さて、眠くなってきました。
ちょっと中途半端ですが、このへんで終わりにします。
コメント
確かに日本人はいろんな部分で恵まれた環境の中で保護されているという感じがします。自分の努力の度合いでも変化はしますが、願い努力さえすれば大体のことは叶えることができる環境が整備されています。またそういった土壌を国や地方がバックアップしてくれることさえありますからね。助成金や支援など調べれば少ないリスクで新しいことも始められるし。
ただ・・・当事者だけが何も努力せず自分の置かれた環境を不遇だと思ってしまえばそれまでで、そこから何も進歩は見えなくなります。切り開くためのアクションを起こさねば見えないままですからね。
アキバの事件も結局は自分が何もアクションを起こしてこなかった結末だと思います。自分の中で抱えてた不満を他人を犠牲にすることで発散するなんて寂しいことですね。
自分もくじけそうになる事たくさんありますが、そこで一歩進む勇気を常に持ち続けたいなって思います。
Kazuさんの日記にもいつも元気もらってますから。
これからも興味深い日記書き続けてくださいね。
いとーたろーさんへ
自分の置かれた環境を不遇だと思ってしまえばそれまで・・・いとーさんのコメントに非常に同感です。
生きていると期待と失望の繰り返しで、泣きたくなることだって多いけど、諦めてしまったら そこで終わりですよね。
アキバ事件、背景には不遇な境遇などがあったのかもしれないけど、だからといって無関係な人たちを巻き込んだことに対して正当化できる程の理由にはならないですよね・・・
亡くなられた方や、その遺族のことを考えると本当に心が痛みます。
年齢を考えても、まだまだ人生をよい方向へ軌道修正することだって、本人次第では可能だったと思うのに、破滅的な方向を選んだことを悲しく思います。
衝撃的な事件でした。
>Kazuさんの日記にもいつも元気もらってますから。
>これからも興味深い日記書き続けてくださいね。
ありがとうございます☆
私も いとーさんからのコメントに励まされております♪♪♪