ユダヤ人の天才出現率の高さは驚異的。その秘密は幼児教育。まず「人」をつくる。人間教育の薄さは、いまのアジア共通の問題点。

》幼児教育

なかなか子供の成長を見るのは面白く、ついつい知育系の情報にも惹かれてしまいますが、早期教育って、けっこう弊害も言われているんですよね。。。精神的におかしい子になっちゃったり、子供のころ天才と騒がれた割には大人になりパッとしなかったり。

とはいえ、ユダヤ人の天才出現率の高さは驚異である。その秘密は幼児教育によるところも大きい。
「読書の民」「本の民」と言われるぐらい、小さい頃から宗教書を読み込み、暗唱してしまう。そして2カ国語以上話せる人がほとんどである。(日本でたまに英語の早期教育の弊害も言われるが、ユダヤ人を考えると疑問である)

何が違うのか?

根本のおおもとの「人間」教育の違いでしょうか。
ユダヤ人は宗教を通じて徹底して道徳を教え込み、生きるためのノウハウを学び、疑問を持ち議論する習慣および週1回の休息日における家族との語らいの中で、強いメンタルと深い洞察力、思考力、交渉術などを身につけていく。

まず「人」をつくる。
土台が不安定であったら、いくら知識が詰め込まれ頭がよくても、飛躍できないで終わるでしょう。
高い志と信念、情熱があれば、自分よりも頭のいい人を使う立場にはなれますからね。逆に人間ができていないと人はついてこない。
経営においても、まず人間をつくれといいますもんね。
(~どこまでもまず人間をつくれ。それから後が経営であり、あるいはまた事業である~by中村天風)

漠然と…人間教育の薄さは、いまのアジア共通の問題点なのかなぁ~と感じることがある。日本だけでなく、韓国や中国の若い人たちも病んでいるの多いなぁ~と感じますもん。

経営理念の大切さはよく聞くが、人生においても、哲学、理念をもつことは大事である。心に自分なりの確固たる拠り所となる哲学、信念などを持っている人は打たれ強いと思う。

こういう人生哲学的なものは、ほんとは15歳ぐらいまで、遅くても20代のうちには確立できていたほうがよいのじゃないかなぁ。
そして社会に出てから自分で学習、修正していけばよいとはいえ、仮のでもよいから人生を生きていくための道徳や心構え、哲学を教えるのは、本来は一番は家庭の役割だと思う。1人で生きていく力を育ててあげる、自立心を育てる、それが一番の親の役目のように思う。

多分、幕末維新の頃に日本で出た人材達は、ユダヤ人のごとく、人間教育により輩出されたんでしょうね。

結論として、早期教育が必ずしも悪いわけでない。
人物的な深さをつくるための教育が手薄になった結果、バランスが崩れ大人になって伸び悩むのではなかろうか。(早ければ子供の頃に心が壊れたり)
知識よりも知恵の教育は、手間も時間もかかるし人間同士のコミュニケーションの積み重ねも重要である。

精神論だけじゃなく脳科学的にも、肉体の健康のために食べ物や飲み物に注意するのと同様、人生の健康のために心に何を入れるのか注意が必要である。
育児の際、親の精神状態が子供に伝染しがちでもある。

ユダヤ人のタルムードに対して、日本人ならやっぱり老荘、孔子、仏教など東洋哲学が最適ではなかろうか?私が東洋哲学好きなので、息子にも内心、東洋哲学好きになってもらいたいと思っている(笑)。
早期教育でも論語の暗記などするが、そこで終わってしまうのは、なんか違うと感じている。本当に大切なのは、そこから先、適当な年齢になったら自分の頭で深く解釈を考えたり呑み込んだりできる力を引き出すことじゃないかなぁ。

~どこまでもまず人間をつくれ。それから後が経営であり、あるいはまた事業である~(中村天風)

経営に限らず、政治にしても教育にしても、まずなんにしろ国の将来を考えると「人間」が土台だと思う。

知識といったものも大事だけど、歴史や人を動かしてきたのは、信念や情熱など心から湧き出るものでしょう。

(以下は自分の日記より引用)
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過去日記より引用

最近読んでいた本に、「修身」や「修養」という言葉が多々出てきた。

知識や技術などといったものは、それはそれで大切には違いないが二義的なもの、枝葉のようなもので、人間としての本質的なもの、根本のほうがより重要。

にも関わらず、明治以降の教育において、人間教育は疎かにされ、西洋近代文明の模倣、再現に役立つ、もっぱら知識教育、技術教育に偏っていってしまったそうな。
その結果、明治時代はまだ旧幕府時代の余徳があったが、功利的、知識的な機械的人物、才人、理論家等は輩出しているものの人物的な深さのある人材が乏しくなり、弊害が・・・・・
人間ができていないと、いくら知識があっても見識はなかったりする。

興亡盛衰の通則として、世の中が非常に乱れてくると、型にはまった人間では役に立たないのだそうだ。
保守的な平凡な時代が続くと、どうしても沈滞してきて、やがて混乱の時代に。更にやがて破滅になるか、あるいはその破滅の中からまた新しい創業・建設の時代になるのであるが、興亡は民族のエネルギー、活力、これを体現する人物の有無によって決まるとのこと。
しからば、そういった新しい時代を創造するような人物はどうして生まれるかというと、これは知識や技術の学問からは生まれず、智慧や徳の学問、そういった教育の中から生まれるそうです。
幕末維新の際の英雄豪傑は、やはりあの時代の精神的、道徳的な学問、教育から生まれた。
(安岡正篤さんの書籍参考)

https://kerolife.com/archives/6065

更にやがて破滅になるか、あるいはその破滅の中からまた新しい創業・建設の時代に・・・

果たして日本の未来は、破滅か?!はたまた新しい創業・建設の時代か?!

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