論語

》 旧ブログ記事(2010年以前)

先日は「秋田・論語の夕べトーク」なるものを聴いてきました。
孔子直系子孫代75代孔健氏がくるとのことで、東洋哲学好きの私としては、ちょっとミーハー気分で見に行ったのでありました。
会場で儒教伝播協会発行の論語の本も、孔健氏のサインがもらえるのにつられて買ってしまいました。
トーク会の内容の感想はさておきます。
個人的に、孔子の思想は大好きなのですが、孔子の思想だけ盲目的に信仰するのはバランスが悪いので、そのへんは差し引いて論語を楽しんでおります。


世の中、いろんな二面性があります。
答えが1つしかないと思い込んでいると、壁にぶつかったときに脆いです。
その時その時の自分の状況や立場により、柔軟に拠りどころとする思想も変化させることで、壁にぶつかりそうになったときも、うまく乗り切ることができるのではないでしょうか。
昭和54年と、かなり昔の発行の書籍ですし、いまの中国が本当にそうなのか私にはわかりませんが、手元にある本に、次のようなことが書かれております。
~同じ競争原理に生きながら、日本人と中国人の価値観には顕著な違いがあるように思われる。日本人は一元的なのに対し中国人は二元的なのである~
(「中国人の発想 80の知恵」/著・守屋 洋 PHP文庫 より引用)
日本人は、例えば学校の勉強についていけない子供を「落ちこぼれ」と馬鹿にする風潮があり、受験に勝つことにしか価値を認めない姿勢があったり、仕事に失敗して今まで築き上げてきた地位を失ったとき、敗残者のように打ちひしがれ、これで全てが終わったと感じる人が多く、1つのことにしか価値を認めないところがあるとのこと。
それに対し、中国人は、みずからの人生にのんびりと自足する顔と競走場裏に立ち向かう顔と2つの顔をもっていて、かりに競争で敗れ去ることがあっても、もう1つの精神生活を切り開くことができる。
いずれにせよ、価値観の一元的な社会は息苦しく、人々の心にも余裕がない・・・というようなことが書かれています。
孔子の建前論と老子の本音思考が、中国人の考え方の底に交錯しているそうな。
尚、「人は頭(トップ)になるな、木は軸になるな」という諺も紹介されており、これはどんなに堅い木でも軸にすればすぐ磨り減るごとく、トップになれば責任ばかり重くて、かえって損だという意味なのですが、
この中庸を重んじる考え方は老荘思想の「中遊」志向に通じるものでして、先頭でもビリでもない中間のほうが、実生活上、むりろ有利という考え方である生活の知恵、処世術だったりする、、、という乱世に処する英知も書かれています・・・が、
この思想は青年にとって両刃の剣の危険がありまして、世の中の方向性の見極めが難しいので、しばらく風向きを見定めようとする場合、「中遊」志向が絶好のかくれみのになるのですが、
トップに立つことを意識的に避けようとする「中遊」志向は、個人の生き方としてみるとき、たしかに安全かつ、したたかではあるけど、みんながみんな、こういう生き方を心がけると、社会の活力が失われてしまう恐れがあります・・・というようなことも書かれています。
・・・・・。
えぇ、そうでしょうね・・・
老荘思想、大好きなんですが、大きなリスクには気付いていました。
あまり若いうちから老荘思想に漂うのは危険です(汗)
論語を読んで、バランスを立て直さないと(大汗)。。。
枯れすぎに注意。。。バランスがダイジ。
以前にも書きましたが、孔子の思想と老荘の思想は、けっこう同じ「道徳」の意味にしても違うんですよね。
2008年02月09日の日記の、真ん中ぐらいに書いています
違ってるけど、どちらが正しくて、どちらかが間違っているということはないと思います。
面白いのが、荘子の書物の中に、儒家の祖である孔子がよく登場して否定的に皮肉られております(笑)
「荘子の学は老子に基づき、孔子の徒をそしる」(『史記』老荘申韓列伝)・・・※「孔子は いまだ道に達せざる者」という意味で、否定的に書かれています。
《参考文献;「マンガ 老荘の思想」/訳・和田武司 講談社α文庫》
しかし孔子のいう次の言葉も、真なり・・・ですよね。
「・・・鳥獣はともに群を同じくすべからず。われこの人の徒とともにするにあらずして誰とともにせん。天下道あらば、きゅうともにかえず」(微子第十八)
意味;人間は獣の生活には戻れない。人間社会を離れて、いったい誰と暮らせというのか?有道(※理想の世の中)であれば、自分だって改革しようと主張することはないのだが。
《参考文献;「マンガ 孔子の思想」/訳・和田武司 講談社α文庫》
老荘の思想がマクロ的だとすると、孔子の思想はミクロ的かな?
(※いま時点の私の個人的な印象なので、またそのうち感じ方が変わり、別の考えになっているかもしれません)
リアルに生きていくためには、社会秩序や実践的な生きていくためのノウハウが必要である。でもそれだけじゃ、たまに疲れる。たまにはマクロ的な視点になって、精神的に心を開放することで、リフレッシュし、心のバランスをとりたい。
ミクロ、マクロ、両方の視点が、精神的なバランスをとるためには必要なんじゃないでしょうかね。
・・・で、まとめると、
孔子、老荘思想以外に、仏教の思想にも触れたほうがいいです★
・・・って、まとめが飛躍しましたね(笑)
東洋哲学は面白い☆☆☆
長くなったので、このへんで。
ちなみに前回の日記の「バケツ理論」に関しては、2008年03月13日の日記の後半のほうに説明が少し書いてます。
http://keiei-roumu.sblo.jp/article/12259616.html

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