安岡正篤さんの本を読んでいると、
「西洋近代の社会科学、哲学など夢中になって勉強するも、やればやるほど精神的虚空を感じる、そのときふと昔読んだ東洋の古典を読むと、ちょうど飢えたものが一杯の飯にありついたというか不思議な満足感を覚える…」
といった回想が時々出てきます。
東洋の歴史的伝統的な学問と西洋近代の哲学等というようなものとの間に微妙な相違があると。
私も海外のベストセラー書籍など多々読んできましたが、それらも悪くないですが、老荘や禅、孔子の思想など東洋哲学に、より心地よさを感じます。
ちょっと昔の名を上げた日本人の多くが、四書五経など東洋哲学に親しんでいた。
いまはどれぐらいだろう・・・。
ナポレオンヒルやマーフィー、D.カーネギー等は読んだことあるよ(私も読みましたが) という人とは多々会いますが、大学や論語等を読んだという人にはあまり遭遇しません。
東洋哲学好きとしては残念に思う。
子供の早期教育等で論語は結構流行っていますが、個人的には分かり易いし短いし(あっという間に読めます!)、とても「大学」を気に入っています。
二宮金次郎の像が読んでいるのは「大学」という説もあります。
『大学の道は、明徳を明らかにするに在り・・・』
『湯の盤の銘に曰く、まことに日に新た日日に新たに、また日に新たならんと・・・』
大学には上記のような文章があります。
秋田に「明徳」とか「日新」といった名称の学校がありますが、大学から付けたのかな?
昔はもっと「大学」、メジャーだったはずですよね?!
いまは多分、知名度低いですよね・・・
とても残念に思う・・・
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