書籍『ラビ・トケイヤーの好調日記 著/アーヴィン・トケイヤー』の
「教育の最大の目的は、新しいものを創り出す個性的な力を持った人材を育てることにある。このためには、自立した人間を創らなければならない。これが、人づくりだ」
「教育は人が何のために生きているか、という生命の根源的な問いに答えるものでなければなるまい。そして教育は知的なだけではなく、道徳的な強者をつくることを目的としている。」
という記述に共感する。
これは本来家庭において重要なことであるが、会社の社員教育にも通じるものだと思う。
インテリだらけのはずの政治家や官僚、公務員を見ているとなおさら思う。
下記は、「読本『仮名大学』『大学』を素読する」の、解説部分より引用。
昔、明徳を天下に明らかにして平安を来たそうと思う王者は、必ず自分の国をよく治めた。
読本『仮名大学』『大学』を素読する」 より引用
自分の国をよく治めようとして、先ず自分の家をよく調和させた。
自分の家をよく調和させようとして、先ず自分の身の修養に努めた。そして身を修めるにあたっては、先ず自分の心を正しくした。
自分の心を正そうとして自分の意識や感情を正常にしようとした。
その意識や感情を正常にしようとして先ず生まれながら与えられている知恵を極めようとした。
そして知恵を極めるというのは、即ち自己を正して本来にかえることである・・・
物には本末あり、事に終始あり、とのこと。
そこで先後するところを知れば、大きく道からはずれることはないと。
身分や地位に関わらず、自分の身を修めるのが本(もと)であるという。
その本(もと)である自分の身が乱れて、末である、家をはじめ国や天下が治まるということはない。
要するに、本(もと)をおろそかにして、末に力をいれたって、長い目で見れば終わりをまっとうすることはできない。
身が修まらなければ、その家をととのえることはできない。
自分の家の者を教えることができない人は、広く人を教えることもできない。
例えば家にいて、親に孝行を尽くす心が君主によくつかえる本(もと)になり、兄や姉に従順であることが、世に出て年上や上司によくつかえる本になり、又妻子を慈しむ心は民衆をよく使う本になる・・・
昔の日本のインテリ層の多くが、「大学」をはじめ心を育てる四書五経をたしなんでいた。
人間を中心においた上で知識も向上させていった。ユダヤ式っぽいですね。
現在は知識教育にすすんでいった弊害・・・、自殺率などみると韓国のほうが深刻かもしれないが、日本にも同質の問題がないとは言い切れない。
「子育ての95%は母親の責任。だから母親をしっかり育てることが大切。母親を教育し、しっかりしつけをしてもらうことが大切」/by森信三
教育とは人づくりである。
何が大切であるか、うっかり忘れて私も同じような過ちにすすまないよう、気をつけたいですねぇ・・・
下記のリンク先を読んで思ったのでした。
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